呼称の起源と歴史的背景
• 律令制時代(奈良〜平安時代)
日本では、都(畿内)からの距離に基づき国を「近国」「中国」「遠国」に分類していました。この「中国」に該当する地域が、現在の中国地方の原型とされています
• 『延喜式』(10世紀)
延喜式(905〜927年頃)では、この分類が法典として整備され、「中国」に含まれる国々が明文化されました (
• 中世(南北朝〜室町時代)
南北朝時代の軍記物語『太平記』には、「中国探題」という表現が登場し、山陽道・山陰道の国々をまとめて「中国」と呼ぶ用例が確認されます
現代的な地域区分としての定着
• 明治時代以降
明治時代には、広島県で発行された新聞名に「中國」が使われたり、内村鑑三が山口・広島の人々を「中国人」と呼ぶなど、地域の自称として「中国」が用いられていました
• 大正時代以降
鉄道(山陽本線・山陰本線)の整備や行政・統計上の区分として、「中国地方」という名称が正式に定着していきました
まとめ
• 「中国地方」という呼称の起源は、律令制時代の「近国・中国・遠国」の区分にあります。
• 10世紀の延喜式で法典として整備され、中世には『太平記』などで「中国探題」として用いられるようになりました。
• 明治〜大正期にかけて、新聞名や地域自称、交通インフラの整備を通じて、現代的な「中国地方」という地域区分が確立されました。
