原発推進派の常套句「死者ゼロ」の意味とは
原発推進派がよく用いる定番の言葉があります。
「火力発電所の事故で多くの人が亡くなっているが、原発事故では一人も死んでいない。」
一見「安全性の証拠」のように聞こえますが、この主張には多くの前提と限定が含まれています。実際には、統計の取り方、因果関係の定義、そして「被害とは何か」という価値観の問題が隠れています。
本記事では、この主張を9つのジャンルに分けて、多面的に反論や検証視点を解説します。
1. 統計・因果関係の問題
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直接死だけを数える不自然さ:
「放射線急性障害による死」だけを数え、避難や医療中断による死亡(福島では約2,300人以上)を含めない。 -
長期的影響の無視:
低線量被曝によるがんや慢性疾患は数十年後に現れるため、短期の「死者ゼロ」統計では測れない。
2. リスク評価の観点
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頻度×被害規模:
火力事故は頻度が高く局所的、原発事故は低頻度でも一度起きれば国家的規模。 -
質の違うリスク:
放射能は目に見えず長期・不可逆的。火力の「日常的リスク」とは本質的に異なる。
3. 健康・公衆衛生の観点
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疫学的評価の難しさ:
個人単位で因果を証明できなくても、集団では超過がん死が統計的に増加するケースがある。 -
精神的・社会的健康被害:
避難・失業・風評被害・自殺など「命を奪わないが生活を破壊する」健康損失が膨大。
4. 倫理・哲学的観点
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同意なきリスク負担:
電力の恩恵を受ける都市部と、被害を受ける地方の格差。誰が得をし、誰が負担するか。 -
世代間倫理:
放射性廃棄物の処理責任を未来へ押しつける構造。「今まで死者がいない」では済まされない。
5. 社会学・政治の観点
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因果認定の政治性:
国や事業者には補償回避の動機があり、「関連死」を過小評価する傾向。 -
信頼・情報公開の欠如:
過去の隠蔽・情報遅延が多く、「死者ゼロ」宣言への社会的信頼性を損なっている。
6. 経済・政策面の指摘
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事故の社会的コスト:
福島事故の総費用は約22兆円。民間保険ではカバー不可能で、結局は国民負担。 -
火力との比較の不公平性:
「火力か原発か」ではなく、再エネや効率化を含めた総合比較が必要。
7. 法律・人権的観点
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生存権・健康権の視点:
死者の数よりも、「健康に安全に暮らす権利」を奪うリスクの方が深刻。 -
住民合意の正当性:
原発立地・再稼働の際、十分な情報と自由な合意があったとは言えない。
8. 議論技法・データ利用の問題
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チェリーピッキング批判:
部分的なデータだけを切り取り、「全体像」を隠して安全性を演出。 -
比較のミスリード:
火力の「労災」と原発の「国土汚染」を同列比較するのはナンセンス。
9. 歴史・国際的視点
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チェルノブイリの教訓:
国際機関(WHO・UNSCEAR)も急性死30~50人、長期がん死数千人を報告。 -
世界各国の判断:
ドイツやイタリアは脱原発政策を採用済み。リスク評価基準の違いが際立つ。
結論:「死者ゼロ論」は議論のすり替え
火力と原発の「死者数比較」は、あまりに単純化された議論です。
原発事故の本質は、「人命リスクの分布の仕方」と「社会の持続性」 にあります。
「死者ゼロ」という一点ではなく、
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どんな被害が、
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どのくらいの範囲と期間に、
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どんな人々に降りかかったのか
を総合的に見る必要があります。